近代ビールの三大発明といって、アンモニア式冷凍機、低温殺菌法、酵母純粋培養法が次々に発明された。
ここではビールの歴史を紀元前からたどっていく。
紀元前1700年半ば:ハンムラビ法典でビールに関する法律
メソポタミア文明の時代、ビールは女性が醸造し、酒屋を経営して販売していた。
ビールは通貨と同等の価値を持っていて、労働の対価としてビールが支給されていた。
- 労働者は1日1L
- 下級役人は1日に2L
- 上級役人と宮廷につかえる女性は1日3L
- 最高の地位の役人と僧侶には1日5L
紀元前1700半ば、ハンムラビ法典が作られ、ビールに関する法律もいくつか作られた。
たとえば、「ビアホールではビールの代金を穀物以外で受け取ってはならない」
「ビールを水で薄めて売った者は溺死刑」
「酒場で反乱の計画をしているのを目撃していながら王国に連行しなかった女主人は死刑」
11世紀後半:原料にホップが利用される
ドイツの薬草学の祖であるヒルデガルが、はじめてビールにおけるホップの役割を書物に示した。
14世紀~15世紀にかけて世界中に広まり、ホップを使ったビールが徐々に主流となっていった。
ホップの役割は4つ:
- ビールの泡立ちを浴する。
- 独特の芳香と苦みを与える。
- 透明な液体にする。
- 殺菌の繁殖を防ぐ。
1516年:ドイツでビール純粋令が定められる
麦芽、水、ホップ以外を原料に使用してはならないと定められた。
この純粋レイは現代にわたって500年以上守られていて、ドイツの伝統的なビールのスタイルを確立した。
1866年:ルイ・パストゥールが低温殺菌法を発明
ルイ・パストゥールが加熱処理によって微生物の働きを止めてワインの変質を防ぐ低温殺菌法(バストリゼーション)を発明。
ワインを55度程度で加熱することでアルコールを飛ばすことなく殺菌することを発見した。
1873年:カール・フォン・リンデがアンモニア式冷凍機を発明
下面発酵ビールは低温でゆっくり発酵させる醸造方式だが、低温を維持することに莫大なコストがかかっていた。
洞窟に持ち出して発酵したり、氷を削り取って運んで醸造したり。
夏場は醸造ができない。ドイツでは9月~翌年4月にのみ下面発酵ビール醸造が許可されていた。
カール・フォン・リンデがアンモニア式冷凍機を発明したことで、下面発酵ビール醸造の非効率性が大幅に改善。
安価に1年十下面発酵ビールが作れるようになったことで、下面発酵ビールの時代が訪れる。
1876年:ルイ・パストゥールが酵母の働きを発見
ルイ・パストゥールが酵母の働きによって発酵が起こることを発見。
低温殺菌法がビールでも応用できることを突き止める。
これによって、ビールが長期保存できるようになり、どこにでも持ち出しできるようになった。
1883年:エミール・クリスチャン・ハンゼンが酵母純粋培養法を発見
エミール・クリスチャン・ハンゼンがひとつの公募を分離して培養する「酵母純粋培養法」を発明。
ビール造りに好ましい酵母のみを抽出・培養する方法。
「ハンゼン・キューレの酵母純粋培養装置」を発売し、ビール酵母を培養してビールを安価に大量生産する道を開いた。
明治:日本でビール醸造が始まる
- 明治5年:大阪で日本初のビール醸造が開始。
- 明治21年:キリンビール、サッポロビール株式会社が登場。
- 明治22年:大阪ビール株式会社が設立。
- 明治25年:大阪ビール株式会社が旭ビールを発売。
- 明治40年:キリンビールの製法ががキリンビール株式会社に引き継がれる。
1994年:日本の酒税法改訂によって地ビールが誕生
酒税法改定で、ビールの製造免許を取得するための最低年間製造量が2000KLから60KLに引き下げられた。
これによりビール産業に参入する企業が爆発的に増え、全国各地で300以上ものビール製造会社が誕生。
地元の果物やハーブを使ったさまざまな地ビールが各地で製造されるようになる。